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奥志賀の宿

日常のこと

2023/08/09哀悼

私事で恐縮ですが、8月9日、義弟が旅立ちました。音楽と酒を愛し、家族を大切に考え、奥志賀フリークでもあったココロの優しき男でした。先月7月23日、仕事の合間を縫って家族で会いに行きました。この日を逃したら、8月下旬まで仕事の関係で奥志賀を離れることが出来かったからです。その日も猛暑な都会の喧騒。僕はラディックのスネアドラムを持ち込み、ペンを握るのさえ大変だった彼にサインを頼みました。ジャズ・ブラシでシャカシャカした時、リラックスした最高の笑顔、本当に最高でした。僕は生涯忘れることはありません。そして家族でよく奥志賀にスキー旅行に来てくれました。ラストは一昨年の3月。うちが満室だったので近隣のお宿さんに滞在したのが、奥志賀ラストでした。


彼も僕も無類の音楽好き。僕はここで宿屋の大将をしてなければ、間違いなくジャズ喫茶や音楽に関連するカフェを運営していたと思います。そしてコロナ禍で中断していたtesoro奥志賀のJazz Liveにおけるミュージシャンの繋ぎを受け持ってくれたのは、そう、全て彼でした。今年もそうだけど錚々たるメンバーだよね!今となってはtesoroのちょっとした伝説であり、歴史がスタートしているかもです。(館内にポスターを掲示しているので気になる方はご覧ください)。そんな彼は美容師でイギリスで仕事をしている時期もありました。英国バリのサウンドシステムに相当なこだわりを持ち、そんなココロ優しき彼の周りにはミュージシャンが自然と集ったのでしょう。僕もずいぶんとレコード談義やヴィンテージサウンドの話に花を咲かせたものです。そういえば、元気なったらウッドベースをやるんだ!と目標を持っていたんだよね。


哀悼 勇一郎へ。

出会えて最高でした。そして恭子の兄、コモモの叔父でいてくれてありがとう。俺が20代学生の頃、巨大なアフロヘアを作ってくれたよね(笑)。でもそのアフロヘアが気に食わない当時の教授からクレームを受けたこと覚えてるかな?最後の対面となった帰り際、ありがとう、ありがとうと涙を流しながら何回も振り絞ってくれたその温もり。今は俺のココロの灯火として、ゆらゆら燃え続いています。もちろん今も存在を感じてます。安らかに眠るのでなく今から起き上がって立ち上がって、冬は奥志賀のエキスパートコースをかっ飛んでください。夏は志賀高原を歩こう、そしてフライフィッシングに行こう。どうか奥志賀の広大な空のどこかで、その微笑みを絶やさず見守っていてください。俺たち家族は、お母さん、Makiちゃん、子供たちとの新たなコミュニケーションを創ります。最後に話した“男の約束”を胸に一期一会、これからも歩き続けていきます。本当にありがとう。

合掌

キミオより

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